coding, photo, plant and demo

*X68000分解

x68000 20090110 210530
実家から「このゴミいいかげん捨てたいんだけど」と言われ続けて約n年。
捨てるにはあまりにも惜しいというか、老後の楽しみのためにとって置こうと
思っていたX68000とMZ80Bだが、確かに冷静に考えるともう使うこともないし
諦めて捨てることにした。

んで、ただ捨てるんではもったいないので、解体して記念撮影することにした。
ちなみに完全にバラすのは初めて。
箱根細工と言われたこの筐体を無事ばらせるだろうか。


正面図。
これがマンハッタンシェイプだ。
しかし、ばらせば分かるんだけど、この形にするためにすげー労力使ってるんだよな。
世界でも初めての見た目最優先のPCじゃない?
どうでもいいけど、パーソナルワークステーションって名称、今聞いてもカッコいいよね。


裏を見ると、あれ?何か電源から変な線が出てる?
X68000の電源は経年劣化で死ぬことで有名。
電解コンデンサを交換すればいいんだけど、
当時そんなものを交換する技術のなかった僕は
外部から電源を引っ張ってこれるようにしてたんですね。
って、何から供給してたんだっけなあ。
otkから得体の知れない電源ユニット貰ったんだっけ。
ってめちゃうろ覚え。


では右側の電源やI/O周りが入っているタワーを開けてみよう。


わしゃわしゃと改造跡が!
これは覚えてるよー、SxSIだね。パリティ回路付けたんだ。
中学生のときだな。
512MBのHDDが繋がったときは感動したよなあ。
無限の空間に思えて実際埋まらなかったけど、今じゃ動画1本も入らない大きさだからな。
隔世の感。

動画は当時はMOとかに入れてmmvpで再生してた。
うーん、懐かしい。
10MHzじゃ動かすのが精一杯って感じだったけど、今思えばそれが楽しかったんだな。
マシンの本当の限界が見えるってのが今じゃまずないからね。
高度なOSもなく、ハードも単純で皆が直接レジスタを叩いてた箱庭だからこそ
味わえたんだよな。


では次は左側のタワーへ。


まずは拡張ボードを抜く。
1枚目はMIDIボードですね。
SC-55mkIIをつなげてました。
MT-32も欲しかった。(ゲームやるためだけだけど…)

しかし、MIDIなんて単純なI/Fのためにこのボードを買ってしまったとは。
今思えばRS232C変換を自作すればよかった。


これは2MB増設ボード。
本体の2MBとあわせて4MBだった。
4MBって今じゃL2キャッシュの容量だよ。
後でもっと増やした気もするけど気のせいかな。

って2MBは純正ボードだったはずだから、I/Oデータ製ならこれは2MBじゃないな。
8Mbit SIMMのTMS44400DJが4個ってことは4MBの増設ボードか。
そういや買った気がするが、いつの頃だっけかな…
物忘れ激しすぎだーー。
これからはモノ買ったらwebにでも書いておこう。

にしても、なんでこんなにチップ点数が多いんだろ。
もともとX68はSIMMじゃないので、タイミング変換でPEELが必要なのは分かるけど、
それならこの大量の74はなぜって感じ。
74LS244は3-state bus bufferだから仕方ないにしても、
論理ゲートは何なんだろ。バッファが目的なのかな。
電気回路は未だによくわからん。


さて拡張ボードを取っ払って、その下のメインボードに一歩近づく。

拡張スロットの左横はRGB出力とTV制御端子。
TV制御端子は便利だった。今考えれば恐ろしいほど時代を先取りしていたね。


CZ-612C
こんな思い入れのある型番には一生出会えないな。
あと、シャープ株式会社の文字がカッコいい。


拡張スロットをメイン基板から外す。
が、ここからどうやってもメイン基板を覆うシールドが剥がせない。


諦めて右タワーの5.25インチFDDを外す。


電源も外すと右タワーは空に。
音質の悪さが半端無い内臓スピーカーが登場。
そりゃこんな位置にこんな風に取り付けたら音が悪いに決まってる。


すると底面基板が取り外せるようになった。
ここには電源ボタンやらキーボード、マウス、ジョイパッド、AUDIO IN/OUTなどのUI周りのI/Oと
音源関係が載ってる。

伸びてる変な線は上述のパリティ回路用の電源線。
ジョイパッドの電源ピンから引っ張って来てる。


ここにもシールド。


このシールドを外すとネジが出現。


この時点でこの有様。
もう元には戻せません。


マンハッタンシェイプ唯一の実用的価値、取っ手。
こんな構造になってた。
ダンパーぽいところは20年の歳月を経ても、まだ油っぽくて動作良好。


926
謎のマーキングを発見。


底面基板を外してタワーを分解することによって、
ようやくメイン基板の取り出しに成功。
しかしなんでこんなに汚いの?指紋跡が付着しまくり。


ネジを全部外してようやくメイン基板とご対面!!
左下の基板から直に出ている端子はカラーイメージユニット関係と3D端子。

その上の32個並んでいる石がVRAM(グラフィックRAM。dual port)。
その左の白いコネクタはRGB出力ボードへ。
その上のCX20206はRGB用DAC。


その上のカスタムチップのVIPSはなんでしょ?
CRTCかなあ。


基板の左上がCPUの68HC000で下がDMAC、周りはメインメモリ。


右下にあるカスタムチップCYNTHIAはスプライト用。これは有名だね。
というか、カスタムチップはこれしか知らなかった。。


裏面。ところどころ半田吸い取りした跡が!
手作業しまくりか。今じゃありえないよなあ(多分)。


CPUだけ取っておく事に。


おっと、底面基板も忘れたらいけない。
MC68901はMulti-Function Peripheral (MFP) と呼ばれる石で、
キー入力などのI/Oとタイマーを内蔵した割り込みコントローラみたいな奴。

で、その下はYM2151 (OPM)。
YAMAHAの8ch4opのFM音源、と言うのは簡単だけど、とっても奥が深い石。

各種FM音源の話は
http://yitsuse.blog42.fc2.com/blog-entry-17.html
が面白い。

で、その下のM6258がADPCMのデコーダ。4bit入れると12bit PCMが出てくる。
1chでサンプリング周波数は最高でも15.6kHz。
しかも当時は7.8kHzで使うことが主と考えていたのか、LPFのカットオフ周波数が
そのあたりで切られていて、必要以上に音が篭ってた。
あの仕様を最後まで引っ張ったのは本当に謎ですな。
なのでユーザの間ではコンデンサを交換するのが流行ってた。

にしても当時はPCM出せる機械なんてどこにもなかったから、凄いインパクトだったよなあ。
無意味に起動時に喋らせるソフトとか沢山あった。
そうそう、電源切っても通電されてるSRAMがあって、起動直後にいろいろできたんだよね。
あと、タイマーや外部入力で自動起動とかできた。

adpcmはpcm8で8chまで拡張されたんだけど、あれも感動したなあ。
今じゃソフトシンセなんて当たり前だけどね。
10MHzでadpcmのデコードとpcm合成とadpcmエンコードをリアルタイムでやるなんて、
今考えても凄いことだと思う。

というか、当時の最適化は凄かったよなあ。
アセンブラやリンカ、浮動小数点演算、IOCS、lzh,zipにjpeg、
あらゆるソフトウェアが数年で何倍も速くなった *0
zx.rとかもう芸術の領域じゃないかね。短く美しく、そして速い。

今や計算機の速度のボトルネックはCPUからI/Oに移ってしまったし、
CPUのアーキテクチャがどんどん変化していくから、
当時の様な最適化は有り得ないよねえ。既に古の時代の話だな、こりゃ。

音に関しては、最終的にはYM2151だけでステレオPCMを鳴らすというトンデモな技が開発されたけど、
もはや10Mhz機では動かず実機で動くところを僕は目にしたことはないです。
http://homepage2.nifty.com/m_kamada/kohx3/kohx3.htm

以上、懐かしのMDXを鳴らしながらの乱文失礼。



さようなら青春時代の残滓。

それにしても、20年以上前、まだゲーム機はファミコンしかなかった *1 時代に
よくこんな化け物を企画設計製造販売したよなあ。
もともとX1という下地はあったといえ、相当な冒険だったと思うんだが。
設計してた人は楽しかっただろうな。辛さもあるだろうけど。

当時の企画、設計、製造の意思決定プロセスをみてみたいね。


あ、MZ80Bの写真撮り忘れとる…
*0 : 今じゃ信じられないけど、たいていのものはフルアセンブラで書くのが常識だったのね。超連射が大部分をCで書いたという話で凄く驚いた
*1 : マークIIIもあるか。あと直後にPCエンジンが出てる