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*二郎について想い起こすこと

20101223 005904
二郎ペディア
という二郎のコピペを集めたサイトを見つけた。

いやー、先日のセカンドはやられました。はめられました。
辺りは有名なので何度か見かけたことがあるけど(それに対応するコピペも秀逸)、殆どは知らないコピペで二郎の世界の奥深さと脂っこさを今更ながら思い知らされた。で大いに笑った。

特に若い連中に言いたいことなんだが。俺も古参と呼ばれる身分になって長い。
に至ってはもはや何の話だか分からないレベル。
とりあえず初心者向けから順次読んでいけば恐ろしい二郎の世界にあなたも釘付けになるでしょう。


しかし、食事と餌の境界上にあるような尋常ならざる喰い物が、何故人気を博しているのか。本当に謎だ。自分もかつて通っていたが、正直通っていた理由など自分でも解らない。あんな不健康なものを並んでまで食べるなんて、冷静に考えたら正気の沙汰ではない。

とはいえ通っていたのは事実であり何か理由があるはずだ。幾つか思い当たる節はあるが、まず一つはコストパフォーマンスの良さだろう。600円程度であれだけの量の麺と油と野菜と塩分が摂れる外食はざらにはない。これは貧乏人には抗えない魅力だ。とはいえそれだけの理由なら、わざわざ30分も並んで二郎に並ぶ理由にはならず、並ばずに入れる牛丼屋でメガ盛りでも食べてれば良い話。なぜ二郎でなければならないのか。

思いつく理由は二郎の非日常性か。サービスの行き届いた日本の飲食店の中で、二郎だけは常に行列を強いられ、店員は高圧的であり、ルールを知らないと注文もまともにできず周りから侮蔑され、座れば店内は狭く殺伐としておりその狭い店内で水はセルフであり、出てくる料理は油と化学調味料にまみれた大量の麺とモヤシで、散々待たされた挙句早食いを強制させられ、食べ終わればテーブルの汚れを拭き取る義務があり、丼をカウンターに上げてご馳走様と言い、即刻席を立たなければならない。女がディズニーランドの演出する非日常にエンターテイメントを見出すように、野郎は二郎が演出するこのような非日常に心を踊らすのだろう。たぶん。

とまあ、こんな風にこじつけようとしたけど、実際のところ理由なんてないというのが正解なんだろうね。そこに山があるから登るし、そこに二郎があるから並んだんだろうね。そこには意味なんて不純なものはなく純粋しかない。

等と思いつつコピペを読んでいたら久しぶりに無性に食べたくなったけど、最近太ってきて嫁から肉禁止令が出るくらいの状態なので無理だなあ。二郎に行くために3kgくらい痩せるか。これ、来年の目標だな。