嫁が仕事なので僕が晩はんを作ることになった。
クリスマスと言えば鶏肉だろう。チキンだ!チキンだ!チキンを買おう!
と心の底から沸き上がる不思議な掛け声に従いスーパーへ向かった。
入った瞬間、白菜が一玉158円だった。これは安い。
最近まで白菜は1/4カットで128円が相場だったから、これは望外に安い。とりあえず買っておこう。しかしこの「とりあえず」によって今日は鍋に決まったも同然である。何気ない脊髄反射に近い行動が人生の大きな機転になることはよくあることだけど、それが最もよく現れるのは夕食の買い出しだと僕は思う。
鍋を作るなら葱と豆腐とキノコは外せない。一通り肉以外は揃えて鶏肉売り場へ行く。途中、鮮魚売り場を通る。そのとき鍋なら実のところ断然魚介類の鍋の方が食べたいという、偽らざる自分の気持ちに気づいてしまう。しかし、それでは最初のチキンを買おうと云う心の叫びと矛盾してしまうではないか。とはいえ、よく考えたら別に鶏鍋なんてそんなに食べたくない。そうだ、蟹の方が断然食べたい。理由は分からぬが兎に角蟹がいい。蟹が喰いたいのだ。蟹が喰いたい。一貫性のない自分の心の急峻な揺らぎが理性というダンパーをも揺さぶり、私はもはや一寸先の自分の行動も自ら制御できない状態に陥りつつあった。
これは困った。しかし右往左往しつつも鶏肉の場所へ辿り着いた。そこで目に付いたのが前々から稀にお見かけするが手が出せなかった、丸焼きにせよと言わんばかりの鶏の御姿だった。これが迷いが消えると云うことだろうか、この瞬間、蟹のことなどどうでもよくなり、気づいたら籠に彼、いや彼女か、分からないが、その魂の抜けた肉塊を入れてレジへと並んでいた。
前置きが長かったけど、要約すれば鶏一匹を衝動買いしたってことですな。
ブツはこれ。
本当はローストチキン用なんだよね…
しかし、改めてこう生き物の原型が留められる状態でみると、肉を食べるとは如何に残酷な事かと認識させられる。こいつらの一生は俺が食べることによって全うされるのだ。そう思うと、合掌して「頂きます」と「御馳走様でした」と言うのが酷く自然な事のように思える。動物じゃなくとも植物にしたって同じだけど、肉はよりそれを感じさせてくれる。
さて、鰯くらいなら適当に刺身にしたことあるけど、鶏とはこれ如何に。とりあえず四肢をぶった切ればいいんじゃね?と思うが、これが難しい。並みの包丁では簡単に骨は切断できない。よく分からんが、関節を捻るとボキッといくので、そうやって関節を外した後切断することにした。なるほど、格闘技の関節技ってのは恐ろしく利に適ったものなんだな。
そんな調子でどんどんバラしていく。適当だけど。
臭みを抜くため、米を少し鍋に入れておいた。
胸肉とか切り出すと、ああ、いつもの肉だって気がしてくる。
背中側とかもバラしていく。
骨付き手羽と腿を投入。
おっと生姜を忘れてた。臭みを抜くにはやはりこれがないと。
大蒜は万能なのでとにかく入れておく。
胸肉とかまで全部鍋に入れるととんでもない量になるので、これはとりあえず取っておく。
出汁が取れそうな奴を全部入れてみたけど、灰汁がすげー。
だんだん適当になってきたけど、白菜とキノコ類と豆腐と白菜を入れる。
友達から貰った生酒を入れる。
しかし、鶏がらがまだそんなに出ないので、味は醤油などで調整する。
ということで鍋が出来た。嫁には白滝をまた切らずに入れていると怒られたが、鶏に関しては意外に怒られなかった。めでたい。
ちなみに北秋田って日本酒はスーパーで売ってた。安いけど異常に飲みやすい。
後から調べたら正しい鶏の捌き方はこうだそうだ。流石に羽交い絞めにするところから見せられると衝撃があるね。
捌き方だけならここやここの方が分かりやすい。ああ、今回はささみとかどこ行ったんだろうな。分けも分からず解体していたから、今度はちゃんとやろう。