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*意外と知られていない戦前の雇用事情

book 経済 20130921 014839
特区で雇用規制緩和 政府検討、残業・解雇柔軟に :日本経済新聞
こんなニュースが有った。日本の雇用はどうなるんだろう?

ところで話は変わるが、

容赦の無い首切り、世界最高水準の転職率、大資本同士の買収合戦、高い配当を求めるモノを言う株主、市場による資金調達、官僚統制のない完全な自由競争。

さてこれはどこの国だろうか?
実は戦前の日本なのである。戦前の日本は今のアメリカも真っ青の原始的な資本主義社会であった。解雇に関する制限はなく、事前通知もなく首を切ることが出来た。そのため、1930年代まで日本は世界最高の横転率(職種を変えず会社を変える率)だった。

終身雇用による雇用の安定、それによる雇用の硬直化と労働者の会社への隷属、企業同士の株の持ち合いによる株主の権力無効化、銀行の融資による企業の支配、官僚による様々な規制と行政指導による護送船団。

今ではだいぶ崩れたが、これら日本特有の経済システムの礎は主に戦中に作られたものだ。俗に言う戦時経済。

戦後70年近く経ち遥かに裕福と成った今、戦中に限られた国力で生産や効率を最大化するために作られた戦時経済システムを維持する必然性は最早ない。それはもう90年代初頭から言われていることだ。

僕もサラリーマンとして雇用に関してはだんだんと不安定化しているとは感じるが、それは単に不景気のせいだけではなく、日本の経済の成熟に伴う戦時経済の清算を意味しているのかもしれない、とも思う。例えば、終身雇用なんてものは比較的最近生まれて消えようとしている一過性の特殊なシステムだ。戦時に生まれた様々な異常な仕組みが徐々に雪融けし徐々に当たり前の世界に戻りつつあるだけではないか、と思う。



補足

>それは単に不景気のせいだけではなく

もちろん、景気が一番直接的で大きい要因だけど、循環する景気の波は慣らしたものとしてマクロに考えても不安定化する方向にあるんだと思うし、おそらくある程度不安定なのが社会として自然に落ち着くところなんではなかろうか(完全に雇用が安定している社会は競争がないってことだから、それはそれで恐ろしいディストピアみたいなものだと思う)。

>戦中に限られた国力で生産や効率を最大化するために作られた戦時経済システムを維持する必然性はもはやない

いや、豊かになった今でも維持し続ければいいじゃん、って思うかもしれないけど生産を最大化する、効率を最大化するというのは、物凄く犠牲を払う。だから、豊かになると人はそれに耐えられない。
例えば、服にしても当時は 国民服 だった。つまり、日本国民全員同じ服を着るってわけ。それなら服の必要な生産量が予めわかるし、材料も大量仕入れできるし、色々なデザインの服を作るコストもないし、売れ残らないし、競争もない。だから会社も絶対潰れない。良いこと尽くめ。けど嫌でしょ?
当然豊かな社会からすれば、売れ残りの服が出ようと、毎年何百何千と新しい服を開発して殆どが使い捨てられようと、激しい競争が生まれ倒産する会社が出ようと、その損失に耐えうる経済力があれば、自由と多様性を選ぶはず。
ただ、やり過ぎると非効率が限界を超えておかしなことになるとは思う。効率と多様性はどこかでバランスしなきゃいけない。

>今までが異常で徐々に当たり前の世界に戻りつつあるだけだ

戦前も行き過ぎた原理主義的資本主義で異常だし、戦後は資本主義の皮を被った計画経済なわけで、当たり前の世界がどのあたりに均衡して存在しているのかはよく分からない。ただ、先の国民服じゃないけど、生き方がより多様化していくし、個性のあることが価値となるんだとは思う。昔は一社に勤め上げるのがある種の美徳だったかもしれないけど、将来はそんなことしていたら「まあ服はずっと国民服でいいや」と言うファッションに無頓着な人と同じくらい、職業に対し無頓着なださい奴として周りから思われるのかもしれない。

けど逆に日本経済が暗転直下すれば、多様性より効率や安定性が求められるからまた逆になるかもしれないけどね。そりゃ着る服がなくなれば、皆と同じ国民服でも有難い、みたいな。


参考

終身雇用を日本的伝統だと誤解している人が少なくない――堺屋太一さん