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*いじめを防ぐ方法と集団的自衛権

memo 20140619 003037
なんとなく小学校の頃の原始的な力関係と、国家の安全保障は似ているな、と思ったのでメモ。

いじめが起こるメカニズムと対処方法

今思い起こせば、小学校というのは非常にプリミティブな、力が支配する世界であった。
無邪気で幼い小学生は、社会のルールに囚われず、原始世界のような単純な力学で、その閉じた社会を構築していた。敵と認識すれば喧嘩し、弱いものをいじめることなど日常茶飯事だった。僕のような弱っちい奴は、いじめなどの恐怖と隣合わせで学校生活を送らねばならないときもあった。

しかしいじめとはなんだろうか。改めて考えてみると非常に興味深い現象である。

いじめとは僕の認識では、
「無抵抗な相手に対し一方的に攻撃すること」
である。お互いに攻撃し合う交戦状態はいじめとは言わず喧嘩と呼ぶべきだろう。

ではなぜ、攻撃するのだろうか。それは当然利益があるからである。つまり、以下の様な理由があり攻撃すると思われる。
「自分にとって有害な対象を排除するため」
「自分にとって無害であるが、攻撃することによって利益が生まれるため」

そして、相手は無抵抗であるから自分は反撃を受けず損失がないことが分かっている。無抵抗なのはいじめられる側が
「攻撃力で圧倒的に劣っており、反撃すればそれ以上の報復を受けることを理解しているため」
である。

よって、この条件が揃った場合、いじめるのが自然な流れとなる。もっともいじめを行いそれが露呈した場合、大きな社会的な制裁を受けるため、普通はそういったことはしないはずなのだが、いじめを行うものはバカであるため、そのリスクを過小評価しているものとする。

では、いじめられないためにはどうしたらよいのか。
そのためには上記の条件から考えると「いじめっ子にとって有害でない存在かつ、攻撃しても相手にとって利益を生まない存在」になるか「抵抗するに足る攻撃力を持つ」かの2択となる。

前者の「有害でない存在」になるのは自我と個性を極力消して人畜無害の空気になれば達成できるが、「攻撃しても利益を生まない存在」になることは困難であると思われる。例えば恐喝や窃盗という攻撃を行えば基本的に誰からでも利益を生み出せるし、仲間の結束を高める、あるいは単純にストレス解消といった利益が目的の場合も相手は誰でも良くなる。この場合、運次第で誰でもいじめの被害者となりうる。

よって、いじめから身を守るためには基本的には「抵抗するに足る攻撃力を持つ」しかないのである。しかし、いじめを行う側は基本的には集団を作ることで大きな攻撃力を有しており(もちろん、何らかの弱みを持つことで個人で大きな攻撃力を持つ場合もありえる)、個人では太刀打ちできない場合が多い。

つまり、いじめられないためには「抵抗するに足る攻撃力を持つ集団に属する」ことが現実的な条件となる。この抵抗するに足る大きな攻撃力は「仲間内の誰かが攻撃されたら全員で反撃する」という堅い結束を持って成り立つものである。仲間内の友達がいじめられたことを知っても、見て見ぬふりをしたり、やめろよ、と口先だけの介入しか行わない緩い集団では相手に損失を与えられないわけで抑止力がない。
仲間がやられたら全員で復讐しに行く血の気の多い不良集団の一員に対して攻撃することは非常にリスクが伴うが、おそらく反撃してこないであろう温厚なオタク集団の一員を攻撃するのは、あまりリスクを伴わないのと同じである。不良集団はおそらく本能的に安全保障の本質について理解しているのだと思う。

実際どうだろうか、いじめられるのは何らかの理由で有害と見做されやすい変わり者や目立つ者であると同時に、孤立しているか緩いグループにしか属しておらず、抵抗性がない場合ではないだろうか。

これより、イジメの発生を防ぐ条件を大きく3つにまとめると、
  • 周りと仲良くする、目立たない(恨みを買わない)
  • 一緒に戦ってくれる(できるだけ強い)結束力の高い集団に参加する
  • 十分に抵抗するだけの体力、知力、勇気をもつ
となる。このうち1つだけは不十分で2つは満たしておくべきだと思う。

国家の安全保障と集団的自衛権

長々と書いてしまったが言いたいのは、これは国家間の外交による安全保障と全く同じではないか、ということ。先の3条件を国に置き換えれば、国家を安全にする条件は下記となる。

  • 周辺国と友好な関係を築く
  • 強力な軍事同盟に加盟する
  • 自国の軍事力、経済力を高める

これを日本に当てはめると、まず最初の周辺国との友好な関係を築くという点において失敗している。ほんと、靖国参拝とかしている場合じゃない。いやしてもいいけど、その前にせめてA級戦犯の合祀は即刻止めて周辺国に十分な説明と謝罪を行い、理解を得るべきだろう。
3つめは日本は比較的強い分野だが、人口減と共にこれからは徐々に弱まっていくだろう。特に中国が急激に成長しているため、東アジアにおいて軍事経済の両面で相対的に日本の力は大きく低下している。

これだけみると、日本の安全保障は現時点でもかなり危ういのではないかと思う。そこで最後の2つ目となる。これは最近話題になっている集団的自衛権と言って良いだろう。通常、多くの国家というのは安全保障を考え、大きな攻撃力を有する国を含めて堅い結束を持った、つまり集団的自衛権発動を義務とした軍事同盟を作っている。これは、例えばNATO(北大西洋条約機構)であったり、リオ協定、かつてのワルシャワ条約機構である。これにより、他国の戦争に巻き込まれるリスクという保険料を払うことで、自国が侵略されるリスクを最小にしている。例えロシアでもNATO加盟国にはケンカは売れない。

しかし、日本は集団的自衛権を憲法で認めていない。ただ日米安全保障条約によって米国が守ってくれる、と日本人は信じている。とはいえ、その日本の安全保障の要である日米安保条約も実は「第三国の武力攻撃に対して条約にもとづく集団的自衛権や積極的防衛義務を明記しているわけではない」のであり、アメリカの機嫌次第では殆ど役立たない可能性がある。

事実、1992年チェイニー国防長官は議会で
「米軍が日本にいるのは、日本を防衛するためではない。米軍が必要とあらば、常に出動できる前方基地として使用できるようにするため。加えて日本は駐留経費の75%を負担してくれる」
と述べている。さらに1999年のアメリカの世論調査では、条約の目的について
「「日本の軍事大国化防止」49%、「日本防衛」12%」
という認識だそうだ。そりゃ「私は自分しか守りません、けどお金は渡すからあなたは私が攻撃されたら命がけで守ってね」と言うのは虫がよすぎる。戦後70年、自衛隊も成長し、冷戦も過去の話になり、新たな脅威も勃興している現在、アメリカが日本に対して集団的自衛権をベースにしたより対等な同盟を求め、東アジア全体の次世代の安全保障を考えるのは当然だろう。

ということで、集団的自衛権を認め日米同盟を強化するのは現状と将来を考えると日本やアメリカにとっても自然な流れではないかと思うのだが、幾つか問題もある。

  • 改憲が必要
  • 周辺国、反米国との関係悪化のおそれ
  • 同盟国の戦争に巻き込まれる

まず、憲法9条の従来の解釈では到底集団的自衛権は容認出来ない。チャゲアスのように「今から一緒に これから一緒に 殴りに行こうか~」なんていう青春は禁止なんである。自分がやられたら自衛のために殴り返してもいいけど、同盟国がやられたからといって一緒に殴りに行ってはいけないことに一応なっている。そして改憲をするのは大変なことだ。

では憲法解釈を変えて集団的自衛権を認めて日米同盟を強化すればいいではないか、というのが安倍内閣だが、これはこれで恐ろしいことだ。憲法の解釈を簡単に変えられてしまっては憲法の意味が無く、権力の暴走を招くことになりかねない。これは将来、集団的自衛権を得ることによる利益よりも遥かに大きな損失を国民に与える可能性がある。あくまで改憲のプロセスを経て国民の同意を得るべき。かつて反戦や厭戦を唱えるメディアや市民を片っ端から捕らえていき有罪としていき、一億総玉砕という悲劇にまで世論を導いた司法警察の暴走も、初めは過激な共産主義を取り締まる治安維持法の拡大解釈から始まった。解釈を柔軟に変えて適用範囲を拡大できるという、為政者に都合の良すぎる前例が出来ると歯止めが効かなくなる。

あと集団的自衛権を認めると、少なくとも中国は非難するだろう。これは外交を余計にこじらせてしまうおそれがある。ただ、集団的自衛権は国際法上どの国でも認められていることだから、文句を言われる筋合いはないはずなので、本来気にする必要は無いのだが。反米と言えば、イスラム過激派等のテロの対象になる確率も上がる可能性はある。

次に、米国の戦争に巻き込まれる心配がある。最もそのリスクを払うことは承知の上で、自国の安全を高めるのだから仕方ないとはいえ、米国は世界中で戦争をする可能性があるので、それに付き合うのはなかなか骨が折れそうだ。既にPKOやらで自衛隊を世界中に派遣してはいるが、集団的自衛権の義務を負うとなると責任がより大きくなるだろう。自衛隊の負荷は間違いなく高まる。東アジアに限定するなどしないと面倒なことになりかねない。

ということで、政治の世界なんて正解なんてないわけだけど、安全に行くのなら何年かかるか分からないけど議論を重ねて改憲、米国を含めた東アジアで集団的自衛権発動を義務とした軍事同盟を作るのが一番だと思う。9条もユニークで素晴らしいとは思うけど、「戦力の放棄」を謳っている割に既に自衛隊という世界有数の軍事力を持っている時点で、既に幻影な気がする。現実世界と折り合いがつかないからといって憲法の拡大解釈をこれ以上続けるのは止めて、憲法を現実に即したものに作り変えるべきじゃないですかね。正直、今の日本は言っていることとやっていることが違うというか、自動小銃を持ったガンディーみたいな違和感を感じる。

とはいえ、アメリカとの外交関係が国の道理を超えることが度々あるのがこの国ですから、要請あらば解釈変更で押し通しちゃうんでしょうね。うーん。

世の中の意見

幾つか関連するブログを読んだので感想。

ウクライナ危機が日本に突きつける「集団的自衛権の行使容認」の核心
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38666
NATOの東アジア版が必要ではないか、という話。正直これが自然だとは思うが、重要なのは先にも書いたけどプロセスなのだと思う。実現するやり方が間違っていれば、それは先の大戦のように国を狂わせ悲劇に繋がると思う。

アメリカと一緒に人を殺すようなことがあれば、当然、そのどっちが正義かということとは別に必ず敵をつくっていきます。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39497
現状の日米安保で十分だろう、という考え。確かにそれで今後も十分ならそれに越したことはないが、果たしてそうなのか。現時点でも解釈次第では張り子の虎になりうるものだし、集団的自衛権の容認は米が要請していることなわけですが。

憲法9条Q&A: 日米同盟と集団的自衛権の巻
http://magazine9.jp/q_a/q_4/index.html
色々な意見があるけど、アメリカが日本を守らないならどうするのかに答えていないし、国連による保証って中露が常任理事国だから、実質意味ないし。結局この人達は安全をどうやって担保しようというのだろうか。

再度、言っておく、わが国は、全く戦争が出来る国土ではないのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/kouheiron001/54997950.html
集団的自衛権によって自衛のためでもないのに武力を行使して反撃されたら原発が所狭しとある日本は大変なことになる。恨まれてテロでも起こされたらどうするのか、という話。確かにテロは怖い。恨みを買わないのが最善ではあるが、抑止力なしで不法占拠され放題、攻撃され放題のほうが遥かに深刻なのでは。

集団的自衛権とはなにか 騙してでも戦争につれてくつもりだったのか!?
http://club.pep.ne.jp/~nonoyama/Kyoufu.htm
「友人の石原大臣宅に誰かが押し入り、なぐったことを聞いて、
  石破氏とその仲間たちが、殴った相手の家まで出かけて行って、つるんで殴り返すことができる」
これが集団的自衛権の本質です。 
(中略)
日本においては、憲法の趣旨から「他国とつるんでどこかの国を攻撃する」なんてことは、どこをどう読んだってでてこない理屈です。
憲法に反することは明白です。
これは分かりやすい。強い奴らとつるむことによって弱い奴も虎の威を借りてケンカに巻き込まれにくくなるし、巻き込まれても仲間が助けてくれる。その代わり、仲間がやられたら一緒にやっつけに行く必要がある。日本以外の国はみんなそうやって自分の安全を確保している。スイスのようにつるまない一匹狼もいるけど、そういう奴はめっちゃ体を鍛えている。日本の憲法ではそうやってつるむことを禁止しているわけだけど、マッチョになることも禁止している。ただ、アメリカが保護者的立場で守ってくれてるから助かってた。
しかし意味のわからない勘違いをしている。「集団的自衛権を実行できる国は限られている」と書いているけど、そりゃ軍事大国と組むから意味があるに決まってるでしょう。ウクライナがなぜNATOに加盟したかったのか分かっていないのか。


あと、うちは朝日新聞をとっているけど、朝日は集団的自衛権には猛反対ですね。憲法解釈を曲げるのはやめろ、って主張には同意なのですが、集団的自衛権は危ないとか不要とかいう論理はなんかズレてて同意できない。ただ、同意できない意見のほうが読んでて勉強になるのでその点朝日新聞は良いな、と思う。