何の変哲もない地方都市なんだけど、普通の地方都市と違うのは純度の高い田舎というか山里的な雰囲気がちょっと脇道に入ると残っていることだと思う。
小高い山林の中を切り開いて作った農家の大きな屋敷と畑が点在する様子は、正に僕の考える田舎そのものである。その田舎が東京からも比較的近い新興住宅街の直ぐ側にあるという不思議。そこがなんというかこの場所を気に入っているところだ。
ところで僕の考える素晴らしい田舎である条件の一つは、そこら中に湧き水が在ることだ。町中や農家の周り畦道にも、清らかな水の流れが絶えず流れていてほしい *0 。残念ながら、この土地はその条件を満たしていないのだけど、台風一過となった今日は何だか満たしているように見えた。
ということで、30分ほど近所を徘徊して水浸しになった愛すべき田舎を撮ってみた。
よくある水溜まり。半舗装という感じが如何にも田舎。ひとつの水溜まりも角度を変えると味が変わる。鏡面反射している水面がフレネルの法則を教えてくれる。
空が青い。そして竹藪は田舎を彩る絶対条件。
これは水溜まりなのか濡れた道路なのか。境界は曖昧だ。
彼岸花。咲いている時も何か儚げだが、このように散った彼岸花の儚さたるやない。秋も深まった。
何故かこの地帯は彼岸花が群生している。所々こうやって道路脇からも生えている。
紅葉した葉と相まる畑の脇の水の流れ。畑から水が供給されるので流れが大きい。
そして排水桝に飲み込まれる。無骨な排水桝ですら、落ち葉と一体となると自然の一部のような気がしてくる。
竹林と青空。
畑と花。向こう側に見えるコンクリートの塊がTX。
唐突に現れる南国風のヤシ。たまにこういうのが植えてある家があり面白い。
杉並木と急坂。
正月には欠かせない南天。
群生する散った彼岸花。
斬り捨てられた竹の脇から生える南天と思わしき幼木の紅葉。
坂を登り切ったところ。
近代的なアートと融合する農協の施設。
反対側を向けば、開発の波。
光を浴び神々しささえ感じられる竹藪。
近所だというのに今更知らない小径を発見する。
よく分からんけど進もう。こういうのは大体の確率で民家にぶつかって終わりなんだけども。
柿の季節。眼下には住宅街。
進むと視界が開けてきて民家が2,3軒と畑があった。アスファルトが途切れその先は道というべきなのか畑というべきなのか、どこかに通じているのかよく分からない地帯だ。やはり行き止まりと判断すべきだろうか?そもそもここは私有地なのかもしれない。困ったので畑で作業をしているおばちゃんに聞いてみたら、左脇の砂利道を通れば道に出るとのこと。けど右脇の方が道広そうだよね、何か有りそうだよね、と右にふらふらと行ったらおばちゃんにそっちじゃないよ!と大声で訂正された。人の言うことはちゃんと聞こう。
砂利道に水が流れ苔が生える。それがいい。
この後壮絶な泥濘を走破し、舗装された道に出る。長靴で無ければ靴をダメにしていたところだ。
濡れたアスファルト。舗装されているって素晴らしい。こういう場面ではつい被写界深度を変えたくなってしまう。
どう考えても怪しい道。(別に怪しくは無いのだけど)
無事町に戻ってこれたようだ。
相変わらずレンズはSEL50F18のみでした。
*0 : 母の在所が郡上八幡だからそう思うんだろうね
代わりにツッコミを入れるとすれば、ヤシと書かれた写真はシュロです。
南天と書かれた写真はピラカンサです。(幼木は南天です)
杉並木と書かれた写真はなんだかわかりませんが、杉ではないです。