母の実家は岐阜の水の都と呼ばれる郡上八幡、その町から少し離れた集落にある。
自分もそこで生まれ、子供の頃は連休があれば家族で遊びに行っていた。
祖母が数年前に他界し、独身で家を守っていた叔父も他界し、母の実家は無人となった。
久しぶりに母が訪れた実家は、ネズミに荒らされて大変なことになっていたそうだ。
それ以来、年に数回掃除をしに母は訪れていたが、自分はここ数年訪れていなかった。
自分にとっても思い出深い場所であり、いつかは行きたいと思っていたが、今回の連休にようやく行くことができた。
久々の母の実家へ。汚いと聞いていたので、マスクと軍手を装備して挑んだ。
入った瞬間、あれ意外と綺麗じゃん、という感想。母の掃除のおかげだろうか。
ただ、カーテンはボロボロになっていた。
かつての居間に行くと、テーブルに木箱が鎮座していた。裏の蔵で見つかったらしい。中には遺骨が入っているわけではなく、皿などが収められていたとのこと。
懐かしいテレビ。
古い本。他にも平凡パンチなどが見つかった。
いたる所にある裸電球。
ネズミかリスかが外の栗を持ってきて食べていたようだ。
使えそうな箪笥は幾つかある。
ところどころ動物の糞がある。これを片付けるのが母の仕事だ。
玄関近くの納戸。農業のための機材など。
裏手の今にも崩れそうなガレージ。
実際に崩れてしまったので解体された小屋。その奥はかつての鶏小屋だが、これも崩れそうだ。僕が子供の頃はまだ鶏をここで飼っていた。
そこらじゅうにある薪。
かつては牛小屋だった小屋も廃墟同然。
また中に戻る。仏間。祖父は信心深い人だったらしく、巨大な仏壇のある部屋に加え、お坊さん専用の部屋まで用意している。
かつてのダイニング。
台所。
五右衛門風呂。子供の頃、薪で沸かすのが楽しくてしょうがなかった。
もはやよく分からない道具もある。
謎の瓶詰め、時代を感じさせるレトルト食品。
ダイニングのテーブルの引き出しを開けると…
うわああ、軽くホラー。
お約束の裸電球。
階段。実はこの家、階段が3つある。そして、子供時代はほとんど2階には立ち入ったことがなかった。一体2階には何があるのか…
この階段を登った先は一部屋あるだけだった。
また裸電球。
第二の階段。何があるのか。
階段を登ると、そこには原型を留めていない焼酎漬けが。14年とは平成14年だろうか。
酒が多い。祖母は酒を飲まなかったから、叔父さんの酒だろう。
光と影。
こたつのある部屋。誰の部屋だったんだろう。
雑多なモノ。
とにかく部屋が多い。迷宮か?
懐かしのダイアトーン。
とにかくモノが多いゾーン。このモノを取っておいてしまう性質、僕も引き継いでいると言えよう。
一階に戻ってきた。
流し台。
外に出る。蔵の雨樋は壊れている。
湧き水。これが吉田川に流れこむ。
蔵の中に初めて入った。電池が切れてしまい殆ど取れなかったが、明治時代から戦前の日付が書かれた木箱が大量にあった。
主に当時のお椀などの食器が入っているようだ。「茶漬け茶碗 20椀」と書かれた木箱が2つとか、すごい量。湯のみや徳利、箸置き、菓子椀、梅椀、等など、もはや何に使うのかよく分からないものも(結局梅椀と書かれた蓋付きの浅い椀は何に使うか分からず)。昔は、結婚式や葬式、宴会など、全部自宅でやっていたから、色々と必要だったらしい。
他にも大きな木箱に屏風やらなんやら入っていたようだ。
適当な茶碗を見ると、吉田川が云々と書かれていたので、地場産のもののようだ。うーん、作りも凝ってるわけでもないし、残念ながら価値はなさそう。幾つか試しに家に持ち帰ってが、ガラクタを持って来ないで!と嫁に怒られた…
ちなみに吉田川とは郡上の市街地を流れる清流。
夏になると、子どもが橋から飛び込んで遊ぶので有名。
http://www.youtube.com/watch?v=VlGg6A5G4C4
子供の頃の思い出、さらに昔の遺物が放つかつては栄えたこの家の歴史の残り香、そして現在の自然に徐々に還ろうとしている家屋の廃墟感、それらが渾然一体となった母の生家は、なんとも奇妙な世界でした。
近所の迷惑なので壊れそうな小屋は全て取り壊すことになりましたが、この先どうしたもんかね。水道と電気はまだ使えるのだけど、人が住むのは大変そうだし、このまま固定資産税だけ払っていくのも馬鹿馬鹿しい。土地は売っても二束三文。困ったものです。ダッシュ村とか、ひとり農業でなんとかしてくれないものか。