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*久々に銭湯に行った日記

日記 20180722 165417
30も半ばを過ぎ、自他とも認めるおっさんになった私だが、そこでは若造であった。

先日の土曜日に自治体のクリーンセンターに粗大ごみを捨てに行ったときのことである。時間があったので前から気になっていたその隣にある銭湯に寄った。市民なら200円で利用できる安さと焼却の排熱を利用した施設という面白さに惹かれたのが理由である。

時間は昼過ぎ、辺鄙なところにある施設であり、おそらく客もあまりいないではないのかという期待もあった。温泉ではないが、7月の汗ばむ昼下がりに採光の良い大浴場にゆっくりと浸かるのはさぞかし愉快であろうと想像する。ちょっとした楽しみのつもりでゴミを捨てた後、その銭湯に寄った。

空いているという期待とは裏腹に、駐車場は混みあっていた。隣には芝生があり、親子連れが遊んでいたり、小学生のサッカーチームが練習をしている。ほのぼのとした微笑ましい空間が広がっていた。銭湯のある施設から、風呂上りと思われる親子が出てきた。外で遊んでから一風呂浴びて来たのだろうか。後は家に帰ってビールを飲めば、親父からすれば理想的な休日ではないか。

そうかと思えば、軽トラックから降りた鳶とみられる真っ黒に焼けた壮年の二人が声を掛け合い合流して私の前を通り過ぎて銭湯へと向かっていった。なるほど、午前中に一仕事終え、梅雨明けの蒸し暑さの中汗だくになった身体を銭湯で労わろうというのか。意外と銭湯は空いていないのかもしれないな、とやや期待は薄れた。

施設は外観からすると比較的新しいようだ。中に入ると銭湯だけではなく公民館のように多目的ホールなども併設されていることが分かった。施設内も清掃が行き届いており、職員が誠実に仕事をしていると感じた。風呂に行く前にトイレにも寄ったが、そこも最新の設備ではないが掃除が行き届いており好感である。多少とはいえ自治体に税金を納めているおっさんは、それが有効に使われているような雰囲気を感じると安心するものだ。

脱衣所に入ると、着替えている人、髪を乾かしている人など既に2,3人のおじさんたちがいた。ロッカーの数は20程度だろうか。それほど大きな銭湯ではないようだ。さっそく服を脱ぎ捨て、風呂場へと向かった。

風呂場へと入る扉には手書きで箇条書きで注意書きがあった。「洗ってから風呂に入ろう」「タオルを風呂に入れない」「大声で話さない」といった良くあるマナーの注意である。しかし、よく見るとやや雰囲気が異なっていることに気づいた。「風呂の中で垢すりをしないこと」と書いてある。あまり見ない注意書きである。洗ってから入れと既に注意しているのだから、風呂の中で垢すりをしていけないのは自明ではないか。しかしわざわざ書いてあるということは、垢すりをした前例があるということだろう。

その次の言葉には目を疑った。「洗い場で排便しても無言で立ち去らないこと」とある。風呂場で排便するなど比較的常識のない私からしても言語道断であるが、わざわざ書いてあるということはその前科があるということなのか。しかも無言で立ち去らなければ排便しても良いと読めるところも恐怖である。私が今立ち入ろうとしている空間は、トレイと風呂場が一体化した規格外の施設なのだろうか?やや尻込みするが、要は過去風呂場で漏らしてしまった人がいるというだけではないか。子どもならよくあることである。ここまで来て引き返すわけにもいくまい、あまり気にしないことにした。おっさんになると、物事は深く考えないほうが良いことの方が多いことに気づくものである。

浴場はそうした疑惑を払拭するかのように、清掃が行き届いた普通の銭湯であった。大きな窓がついており浴場内の照度は高い。しかし事前の予想とは異なり、混んでいた。8席ほどある洗い場は全て埋まっていた。浴槽にも3人の人が見えた。そして先客は全て40-60代とみられるおじさんたちであり、日に焼けた精悍で屈強な男たちと、中年太りした小太りの白髪交じりの男たちで占められていた。間違いなく自分はここではひよっこである。なにやら場違いな場所に来てしまったのかもしれない。

洗わずに風呂に浸かるわけにもいかないので洗い場が空くのを待ったが、なかなか空かぬ。みな、念入りに洗っている。ある男は席を立ったかと思えば、タオルの両端を持ちピンと張り、股間を乾布摩擦のように洗い出した。ケツ毛の一本まで、ケツの穴の一皴まで丹念に洗い抜こうという決意が感じられる豪胆な洗い方であった。そうして銘銘が思い思いに泡だらけになって念入りに自分の身体を洗っていた。

そういったおじさんを眺めまわしながら、浴槽の傍らでタオルで前を隠しながら手持無沙汰に棒立ちになっているというのも苦痛なものだ。ぶらぶら歩くとサウナとその横にシャワーがあることに気づいた。まずはシャワーだけでも浴びておこう。ただのシャワーではあるが、纏わりついた汗が流され爽快な気分になった。棒立ちしているよりは遥かに有意義である。

しかしシャワーを浴びてもいっこうに洗い場は空かぬ。みな憑りつかれた様に身体を洗っている。どうしたものかと思ったが、先にサウナに入ってしまえばよいのではないか。そんなにサウナは好きではないが、サウナから出た時の開放感と清涼感は好きである。棒立ちしているよりはサウナに入っていたほうが楽しいだろう。そう思い、サウナの重い扉を開けた。

開けた瞬間、体が固まった。扉を開けた目の前には強面の全身刺青の男が一人、その横には筋肉質で達磨のような体型をしたシルバーのネックレスを着けた男が一人。二人とも肌は浅黒く、圧倒的な存在感を放つと同時に薄暗いサウナの中に溶け込むような自然さも纏っていた。どうみても気質ではない。異様な雰囲気が漂っている。殺すか殺されるかそういった覚悟もなく、漫然とした手持無沙汰からの逃避でサウナの扉を迂闊に開けてしまったことを大いに後悔した。他にも彼らと比べると見た目は普通なおじさんも一人いる。しかしこの場に平然と居合わせているのだから、このおじさんも普通ではないと考えるのが普通だろう。

サウナ自体は小さいもので4,5人分の席しかない。空いているのは全身刺青とシルバーの狭間である。狭い密室に肩が触れるかどうかの密集状態で全身刺青たちに囲まれ、この人たちと数分の時を過ごす体験はどうであろう。ネタとしては面白いがリスクしか感じられない。妻と子の顔が走馬灯のように脳裏をかすめた。不要なリスクは避けるべきである。いかにも、ああ、満席ですか開けてすみませんでした、残念だなあ失礼します、という雰囲気を醸し出しながら、サウナの扉を閉じたのだった。そっ閉じとはまさにこのことである。

その後は、普通に洗い場が空くのを待ち、身体を自分も存分に洗い、やや塩素の匂いがするお湯につかり、風呂場を後にしたのだった。



ちなみに場所はほっとプラザ下花輪というところで、検索したけど普通に銭湯としてまあまあ良かったという話しかヒットしないので、たまたまだったんですかね。また今度ごみを捨てに行ったときに寄ってみよう。

http://yamady.hatenablog.com/entry/2016/07/27/082454


なお長々と書いてしまったが、言いたかったことは次の3行のみである。
  • 久しぶりに銭湯に入ったら、
  • 全身刺青の人がいて、
  • びっくりした。

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