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*大涌谷と化した我が家

house 20170326 234222
キッチンのシンクの下の棚を開けると異臭がする。
妻がそう訴えたのは先月頃からだっただろうか。

配管から匂いが漏れているのではないかと言う。

最初、私はそれをあまり信じなかった。
たしかに少し匂いがするかもしれないが、
それほど気になるようなものではなかったからだ。

また、配管から匂いが漏れるとは思えなかった。
水は漏れていないのだし、トラップがある。
もしトラップが正常に働いていないなら、
棚を開けずともシンクから異臭が漂うはずだ。

よって、棚の下に何か生ゴミでも落ちているのではないか、
そう思った。

しかしそういったものは見つからなかった。


それから日が経った。
日によって波はあるものの、異臭はより強く
疑いようもなく、はっきりとしてきた。
硫黄のにおいである。

シンク下の棚を開けると、はっきりと硫黄の臭いが立ち込める。
その臭気は棚と部屋との境界を浸食しはじめ、
徐々に部屋中に広がっていった。

気化した硫黄が嗅覚の受容細胞を刺激し、
電気信号となり脳に伝わる。
それは不快な、腐敗臭として認識され、
さまざまな感情を発火させる。

妻の脳でそれは神経細胞を狂騒的に発振させた。
そして言語野を過剰に刺激し表層的には
ヒステリーと呼ばれる現象を引き起こした。
妻は叫んだ。
「もういやだ!こんな家嫌だ!!出ていく!!」


驚くべきことに、この禍々しい匂いは、
玄関先でも観測されていた。
敷地全体が呪われたのだろうか?

もはやこれは大涌谷である。
直下で大きな地殻変動が起きており、
硫黄が湧き出しているのだ。
数日後に爆発的に噴火し、この片田舎の集落は、
あの地獄のような大涌谷の風景に塗り替えられる。

そうしたら私はもうその温泉で作った黒玉子を
売って生活するしかないだろう。
果たして黒玉子には、残っている何千万かの
住宅ローンを返すだけのポテンシャルは
あるのだろうか。

あるいは、気づかないうちに
我が家全体が漂流教室のように、
大涌谷にワープしたのだろうか。


いずれにせよ、ただ事ではないのである。
早く対処しないと妻が子を連れて出ていってしまう。


どうにも分からないが、家の敷地内で匂いのポテンシャルが
最も高いのは浄化槽である。
我が家は田舎なので、下水が来ておらず、浄化槽なのである。

都会の人間には分からないかもしれないが、
下水などがそこに一旦溜まり、微生物の力によって分解され、
清廉な清水となってU字溝に排水される仕組みがあるのである。
少なくともこの流山の集落ではその浄化槽を必要としている。

詰まるところ、糞尿がそこに溜まっているのであり、
臭気的なポテンシャルエネルギーが最も高く、
その危険性から定期的な点検を必要とする。

たまたま大涌谷化の最中にその点検があった。
専門外だろうけど藁をも縋る思いで、
「なんか匂うから終わったらついでにキッチンも見てほしい」
と懇願した。少なくとも水回りの知識は、情報工学専攻の私よりは上だ。
これは間違いない。

しかしキッチンを見るまでもなく、浄化槽の点検時に問題は見つかったのだった。
浄化槽のブロワーが止まっていた。

ブロワーとは浄化槽に空気を送り込む機械で、エアポンプとも呼ぶ。
これが止まるとどうなるか。
通常の浄化槽では酸素を含む空気を絶えず送り込まれることで、
好気性細菌による有機物、つまり糞尿に含まれる栄養素が
主に二酸化炭素と水に分解されている。

しかし酸素が送り込まれなくなるとどうなるか。
嫌気性細菌が優勢になり、彼らが分解を始める。
するとメタンガスやアンモニア、硫化水素が発生する。
それらは揮発し匂いとなって嗅覚を刺激するのだ。

大腸も酸素が届かぬ嫌気性細菌の巣窟である。
だから臭いおならやうんこができるわけだ。
それと同じことが奇麗にするはずの浄化槽で起きる。
なんという恐ろしいことであろうか。

同様に、歯周病は悪臭を発生させるが、
これは歯周ポケットが嫌気性細菌の巣窟となっているためである。
言い換えれば、口臭は口腔で屁やうんこが作られていると言っても過言ではない。
なんという恐ろしいことであろうか。

ブロワーを交換することで、攪拌されたためか一時的に匂いが強くなったが、
それ以降は急速に改善され、何日かすると無臭になった。
我が家は救われたのだ。


なお、硫化水素は青酸ガスに次ぐ毒ガスで、250ppmの濃度で
人は1時間以内に死ぬという。
実際、浄化槽の清掃作業中に死ぬこともあるようだ。

人間が不快を感じるのは、臭いと感じるのは、本能であり、
言い換えれば危険察知能力の一つである。

そう考えれば、嫁のヒステリックな反応も、
まんざら捨てたもんではないのかもしれない。
例えば、女性の口臭、体臭に関するクライテリアの厳しさも、
すべては危機管理の一環なのだ。

私が現代社会に飼い慣らされた家畜だとしても、
彼女は野生の本能を残した荒ぶる虎であり、
この世界を生き抜くために必要な本能を保っている。

例え妻が、私の枕が臭い、と罵ったとしても、
それを私が不条理だと思ったとしても、
罵ることはおそらく生物として合理的なのだ。

そう思いながら最近、私は歯を磨いている。



以下、参考資料。


ブロワーは自分で交換すれば安いことを後で知った。
勿論、信頼できる業者にやってもらったほうが安心だけど。
ちなみに、配管周りでパッキンがなぜか外れている箇所もあり、それも直してもらった。
ついでに配管洗浄も一度もしてなかったので、してもらった。
結果、大涌谷に温泉旅行するくらいのお金がかかった。

浄化槽の清掃作業中、硫化水素中毒に罹る
http://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen_pg/SAI_DET.aspx?joho_no=100734
死ぬこともある。だって有毒だもの。

悪臭の発生原理と測定法
https://www.naro.affrc.go.jp/training/files/2006-20material.pdf
大変勉強になった。

口臭の原因は?
https://www.jda.or.jp/park/trouble/index03.html


口腔の殺菌ならこれらしい。


紛れもない名作。恐怖しかない。